
6月23日に、母校である豊橋技術科学大学で特別講義を行ってきた。内容についてはこのエントリの本題ではないので省略するとして、学生気質について色々と思ったことがあるので書き連ねてみる。
自分が学生である時は感じなかったが、TUTの学生と教員の垣根は相対的に低い。講義中にも遠慮なく質問が来るし、きちんと反応がある。もちろんこれは特別講義という一発芸の背景は無視できないが、垣根は低いと感じた。京大はどうか。高いと感じている学生がマジョリティであろう。教員に質問するにはアポを取るのが常識であるし、講義よりも勉強とは自分でやるものという意識があるようだ。もっとも昔に比べ、最近の学生は講義に来るようになったと言われている。
TUTの学生教員の垣根が低いのはなぜか。これはTUT入学者の多数を占める「高専」出身者にその解があると考える。高専はたいてい40名ていどの固定的クラスで授業を受ける(演習を含む)。高専の教員は専門家ではあるが教育に軸足を置いている方が多数派であり、学生からの質問や相談には熱心に対応してくださる(中学卒業後5年間そのような環境で過ごせば身につかないはずがない)。実際私も高専卒業後もしばしば舞鶴高専を訪れ相談に乗ってもらったものである。加えて、TUTが高専出身という、同じようなメンタリティの集団であるからこそ、自分の意見が言いやすいということなのかもしれない(*)。
学生と教員の垣根は低ければ低いほど良いというものではない。京大のように学外の様々な業務を担当せざるを得ない大学においては、それなりの垣根がなければ回っていかないだろう。もしくは、そのように最適化されてきたのかもしれない。京大の学生諸君には、垣根に負けずに教員を積極的に使ってもらいたいものである。
* ある意味学生の多様性は低いと言わざるを得ないが、全国の高専から学生を集めているという多様性がある。