転職した。あえてこの表現を使っているのは、大学教員は数年ごとにどっかから声がかかって苦労なく異動できるという誤解を払拭したいからである。
2016年10月から1年間のスイス、ルガーノでの在外研究は本当に貴重な経験で、ほんとうは帰ってきたくないほどであった。一方、40台半ばを過ぎると、テニュアが付いていたとしても(昇進するよう)暗黙の圧力があるし、出戻りというのは性に合わない。そういう訳で公募戦線に復帰したのが2017年4月で、スイスからも応募していた。何件か面接に進んだポストがあったものの、残念ながら採用には至らず帰国することになった。
帰国後(論理的には)新しい研究室に所属することになり、ひじょうに良い環境だったのだが、 京都大学では同一部局でのステップアップは基本的にありえず、私の業績では(ry ということで、やはり外を指向することにした。2017年の公募戦線は、我々の分野では幾つかのバズワードが散りばめられたものが多かったが、それに完璧に合う人材となるのはなかなか難しいと感じた。要するに人手不足ということである。加えて、この業界、分野に十数年いると、たいてい「面が割れて」きてしまうのである。つまり、書類選考を通過し、面接に呼ばれて行くと知り合いの先生がいたというのはよくある話である。
そのような場合を含め、教授の採用には採用側が最大限の注意を払っていることがよく分かる。採用したら20年近く働いてもらうことになるのだから当然である。そういう意味で適切な年齢(=40台後半)というものがあることを諸先輩がたに教えてはいただいていたが、このタイミングになるまで実感できていなかった。
また、数を出すのか、それとも自分の本当に行きたい所だけ応募するのかについても様々な戦略があると思うが、自身がポストを探していることを多くの人に知ってもらうことは重要であることも思い知った。応募書類による直接的なプロモーションがいちばん重要であるが、たとえば推薦状を依頼する方からの間接的なプロモーションという手段も重要である。
なぜ法政大学なのかについて列挙してみる:
- 国立大学とは全く違うカルチャーへの期待
- 東京都心へのアクセス
- 自分のこれまでの経験を生かせ、かつ研究を継続できる
- 福利厚生を含めた待遇
要するに新しい環境での挑戦に魅力を感じたということである。ありがたいことに、複数の大学からお声がけいただいており、悩みに悩んで決断した結果である。